ウルビーノ歴史地区

Historic Centre of Urbino

  • イタリア
  • 登録年:1998年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:29.23ha
  • バッファー・ゾーン:3,608.5ha
世界遺産「ウルビーノ歴史地区」、左の大きなドームがウルビーノ大聖堂、その左が鐘楼、右端の2基の塔はドゥカーレ宮殿の西ファサード
世界遺産「ウルビーノ歴史地区」、左の大きなドームがウルビーノ大聖堂、その左が鐘楼、右端の2基の塔はドゥカーレ宮殿の西ファサード
世界遺産「ウルビーノ歴史地区」、ドゥカーレ宮殿の西ファサード
世界遺産「ウルビーノ歴史地区」、ドゥカーレ宮殿の西ファサード。中央、縦に並んでいるのがロッジア
世界遺産「ウルビーノ歴史地区」、ウルビーノ大聖堂
世界遺産「ウルビーノ歴史地区」、ウルビーノ大聖堂、右側が東ファサード (C) Gaspa
世界遺産「ウルビーノ歴史地区」、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂のフレスコ画。正面が「イエスの磔刑図」
世界遺産「ウルビーノ歴史地区」、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂のフレスコ画。正面が「イエスの磔刑図」(C) Mattis

■世界遺産概要

イタリア半島中北部マルケ州のウルビーノはモンテフェルトロ家が15世紀に築いたルネサンス都市で、ドゥカーレ宮殿、ウルビーノ大聖堂、サンタ・キアラ修道院といったウルビーノ・ルネサンスの数多くの名建築が伝えられている。

○資産の歴史

ローマ時代、ウルビーノは「マタウルス川沿いの小さな町」を意味するウルビヌム・マタウレンセと呼ばれる小さな都市だった。紀元前3~前2世紀にかけてローマ人は丘を城壁で囲って城郭都市を築き、その中で暮らしていた。町は8世紀にフランク王国のピピン3世がランゴバルド王国を討ち、教皇に贈ったことで教皇領となった(ピピンの寄進)。ただ、12世紀までウルビーノは自治都市としてほとんど独立して運営され、町は北の丘にまで広がった。

1200年頃、モンテフェルトロ家がウルビーノ伯に任ぜられてウルビーノ伯領となり、1443年にはウルビーノ公国に昇格した(伯は伯爵、公は公爵という貴族の位を示す)。この町が花開くのは15世紀、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(フェデリーコ3世)の時代だ。フェデリーコは優秀な戦士だったが、同時に芸術を愛する文化人であり、ルネサンス的なヒューマニスト(人間性や人間の尊厳を重視する人文主義者)でもあった。1444年にウルビーノ公に就くと都市改造を決意し、多くの優秀な建築家・芸術家を招聘した。

城壁は北の丘にまで延長され、アルボルノス要塞をはじめ10基の要塞が整備された。城壁の設計には軍事土木技術者だったレオナルド・ダ・ヴィンチも関わっているともいわれる。

ウルビーノ公の公爵宮殿であるドゥカーレ宮殿は主にルチアーノ・ラウラーナが基礎を設計し、フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニがデザインを担当した。中庭はコリント式の柱が立ち並ぶペリスタイル(列柱付きの中庭)で、西ファサード(正面)には3層のロッジア(柱廊装飾)が見られるが、これらはギリシア・ローマの芸術文化の再興と幾何学的構造を掲げるルネサンス建築の典型であるばかりでなく、ロッジアのような地元のデザインを取り入れて独自の展開を示すものとなった。隣接するウルビーノ大聖堂もマルティーニの設計で、中央にドームを冠したルネサンスらしい教会堂となっている。

1508年にモンテフェルトロ家が断絶するとデッラ・ローヴェレ家に引き継がれるが、教皇領の回復を目指すボルジア家や教皇によってウルビーノはたびたび攻撃を受け、1631年に教皇領に組み込まれた。以降は急速に衰退し、都市レイアウトや建造物はその後の開発や改修をほとんど受けずに伝えられた。

○資産の内容

世界遺産の資産としては、丘の上に位置する城壁で囲まれた旧市街が地域で登録されている。

代表的な宮殿・住宅建築として、ドゥカーレ宮殿が挙げられる。15世紀半ばにフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが建設を開始した公爵宮殿で、最初にフィレンツェの建築家マソ・ディ・バルトロメオの設計でパラツェット・デッラ・ヨーレ(ヨーレ小宮殿)と呼ばれる建物が建設された。その後、イタリアに存在する他の王宮をしのぐ宮殿を目指して建設が進められ、ルチアーノ・ラウラーナによってペリスタイルや礼拝堂、図書館など多くの施設が築かれた。さらにフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニがこれを拡張し、2本の塔と半円アーチや柱・窓が規則正しく並び、3層のロッジアを特徴とする西ファサードや、ルネサンス広場に面した東ファサード、厩舎、螺旋階段などが建設された。また、彫刻家アンブロージョ・バロッチが内装を取り仕切り、華麗な彫刻やスタッコ(化粧漆喰)・絵画・家具で彩られた。中庭やファサードに代表されるアーチや四角形が連続する幾何学的な構造や対称形はルネサンス様式の典型だ。16世紀には建築家フィリッポ・テルツィと彫刻家フェデリコ・ブランダーニによって増築されており、建築家ドナト・ブラマンテが参加した可能性も指摘されている。王座の間や天使の間など数多くの部屋があるが、もっともよく知られているのはフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(書斎)で、木象眼(素材を彫って別の素材をはめ込んだ装飾技法)などの木工細工や絵画で装飾されている。現在は国立マルケ美術館として公開されており、ラファエロ「黙っている女」をはじめ数多くのルネサンス美術の傑作を収蔵している。

これ以外に代表的な宮殿・住宅建築としては、11世紀創建と長い歴史を誇る大司教宮殿、14世紀に市が庁舎として建設し後にポデスタ家などの宮殿になったパラッツォ・コムナーレ(市庁舎)、モンテフェルトロ家の分家の宮殿として14世紀に建設され17世紀に拡張されたボナヴェントゥーラ宮殿(現・ウルビーノ大学事務棟およびウルビーノ気象台)、18世紀に教皇クレメンス11世が建設したポルティコ(柱廊玄関)がユニークなコッレジオ・ラファエロ宮殿、ラファエロが生まれ14世紀まで過ごしたラファエロの生家サンティ邸などがある。

代表的な宗教建築として、まずウルビーノ大聖堂、正式名称メトロポリターナ・ディ・サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂が挙げられる。大聖堂はもともと城外にあったが、1021年にこの地に創設され、15世紀にフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの依頼でマルティーニがルネサンス様式で再建した。1780年代に地震に見舞われて破損し、全体をジュゼッペ・ヴァラディエール、ファサードをカミーロ・モリージャが改築し、新古典主義あるいは歴史主義様式の現在の形となった。ラテン十字形・三廊式(中央の身廊をふたつの側廊が挟む様式)の教会堂だが、一般の教会堂と方向が逆で、ファサードが東、アプス(後陣)が西に配されている。十字形の交差廊にドームを掲げたルネサンスらしい造りながら、ファサードにはジャイアント・オーダー(1~2階を貫く柱を持つファサードの展開様式)や間隔が不均一のコリント式のピラスター(付柱。壁と一体化した柱)が見られ、マニエリスム(後期ルネサンス)的な展開も見せている。

サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂は1365~93年の建設と伝わるゴシック様式のバシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)礼拝堂で、ファサードは20世紀にゴシック・リバイバル様式で改修されている。礼拝堂の4面を飾る美しいフレスコ画で知られ、ロレンツォとヤコポのサリンベニ兄弟による「イエスの磔刑図」「聖ジョヴァンニの生涯」、アントニオ・アルベルティによる聖人物語などが名高い。

サン・ジュゼッペ礼拝堂はもともとモンテフェルトロ家の支援を受けてフランシスコ会の修道士ジェローラモ・レカルキによって1503~15年に建設された同会修道士のための施設で、同世紀半ばに礼拝堂が増設され、17世紀に礼拝堂の一部を除いてバロック様式で再建された。見事な内装で知られ、ウルビーノの画家カルロ・ロンカッリのフレスコ画や、ウルビーノの彫刻家フェデリコ・ブランダーニのキリスト降誕の彫刻群、主祭壇に備えられた大理石製の小神殿エディクラ、ジュゼッペ・ヴァラディエールやフランチェスコ・アントニオ・ロンデッリによる祭壇やスタッコ、ドメニコ・ロッセッリのレリーフなど芸術作品であふれている。

これ以外に代表的な宗教建築には、1021年以前の大聖堂でビザンツ様式・ルネサンス様式の影響が見られるサン・セルジオ教会、ルネサンス様式のポータルやフレスコ画が特徴的なサン・ドメニコ教会、マルティーニが設計したルネサンス様式の修道院であるサンタ・キアラ修道院などがある。

その他の施設としては、北西の丘の上に立つアルボルノス要塞が挙げられる。もともとモンテフェルトロ家の宮殿が立っていた場所で、14世紀後半に要塞となり、16世紀に星形要塞に見られるような三角形に突き出した稜堡が増設された。周辺には城壁もよく残っており、見晴らしもよく、市民の憩いの場となっている。ドゥカーレ宮殿の前に立つサンツィオ劇場はバシリカを模した新古典主義様式の劇場で、1845~53年に建設された。収容人数は450人で、美しい彫刻やフレスコ画で飾られている。

■構成資産

○ウルビーノ歴史地区

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ウルビーノはルネサンス期のヒューマニズム(人文主義。人間性や人間の尊厳を重視する思想)のもっともすぐれた芸術家や科学者を魅了し、短いながらも卓越した文化的繁栄をもたらした。その結果、高い均一性を持つ傑出した都市コンプレックスへ発展し、ヨーロッパ全域に大きな影響を与えた。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ウルビーノはルネサンスの芸術と建築の頂点であり、地形やそれ以前の中世の建造物群と見事に調和した稀有な例である。

■完全性

ウルビーノのルネサンス期の城壁で区切られたエリアは何世紀にもわたる継続的で統一された空間が広がっており、内部にはその時代の相当数の建造物が引き継がれている。広場や道路を拡張するために19世紀はじめにいくつかの建物が破壊されたが、現在歴史地区に対する大きな脅威は確認されていない。

■真正性

ルネサンス期の城壁内のレイアウトについて、都市形態の多くを保持しているためウルビーノ歴史地区の真正性は高いレベルで維持されている。狭い通りのある中世の古いレイアウトに加え、その後のルネサンスの追加部分まで、空間的特徴と容量を引き継いでいる。18~19世紀の修復においてもルネサンス期のレイアウトはほぼ手付かずのままであり、ヴィンチェンツォ・ギネリによって設計された19世紀のサンツィオ劇場のような近代の建造物も街の景観と調和している。さらに、建物や歴史地区の公共エリアのメンテナンスや修復作業において、それらの特徴や様式・サイズを維持しながら伝統的・歴史的な工法や建材を使用することで真正性を保っている。都市の景観と形態は本来の都市計画に完全に準拠しており、構造は変化していない。

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