スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ

Su Nuraxi di Barumini

  • イタリア
  • 登録年:1997年
  • 登録基準:文化遺産(i)(iii)(iv)
  • 資産面積:2.3254ha
  • バッファー・ゾーン:3.9178ha
世界遺産「スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ」、中央の塔部分 (C) Domimf
世界遺産「スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ」、中央の塔部分 (C) Domimf
世界遺産「スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ」、集落跡
世界遺産「スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ」、集落跡 (C) Ciamabue

■世界遺産概要

サルデーニャ島バルーミニに位置する古代遺跡で、中期~後期青銅器時代にあたる紀元前1500~前800年頃に築かれた「ヌラーゲ」を代表する古代石造建築として知られる。

○資産の歴史と内容

ヌラーゲは玄武岩を積み重ねて築かれた塔のような建築物で、島全域で1万以上も建設され、現在7,000ほどの遺跡が残っている。セメント(石灰石や軽石・ 粘土などを粉状に砕いたもの)やモルタル(セメントに水と砂を加えて練り混ぜたもの)といった接合剤を使用しない乾式工法で建設され、下部には大きな石、上部には小さな石を用いて少しずつ内側に張り出させることで△状の円錐形を取っている(コーベル・アーチ/持送りアーチ)。高さは一般的に10~20m、もっとも高いもので25~30mで、ひとつの塔で構成されるものから周囲を壁で囲ったもの、複数の塔を持つものなど多くのバリエーションがある。

用途には諸説あるが、住居・集会所・宗教施設・要塞・望楼・天文台、あるいはこれらの複合施設と考えられている。特に交通の要衝や丘の上のような拠点、特別な場所(神聖な場所)に築かれていることが多いことから、軍事的・宗教的あるいは集落や一族のステータス・シンボルとしての意味合いが強いと思われる。

バルーミニのスー・ヌラージはこうしたヌラーゲのひとつで最高傑作といえるものだ。構造は複雑で、中央の大塔を菱形の壁が取り囲んでおり、内側には井戸を備えた中庭、四隅には4本の小塔が設置されている。中央の塔はもともと18.5mの高さがあったと見られており、3層の部屋と螺旋階段が備えられている。そしてこの菱形の構築物は稜堡のような7つの円形の突起を持つ壁に囲まれているが、こうした二重壁の内側は後期青銅器時代、外側は鉄器時代に追加されたものと考えられている。

これらの周囲には単一の部屋からなる約50の円形家屋が連なっている。住居と考えられるが、中には会議室と見られる大きなものや神々のシンボルが据えられた宗教施設と見られる部屋もあり、村落の施設・設備が含まれていると思われる。最盛期には40~200の家屋があり、100~1,000人が住んでいたと推測されている。

スー・ヌラージは紀元前7世紀にカルタゴによる侵略を受けてからヌラーゲによる堅牢な要塞構造を捨て、一般的な集落に落ち着いたようだ。紀元前2世紀には共和政ローマの征服を受け、やがて放棄された。

■構成資産

○スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

ヌラーゲは先史時代の傑出した建築物であり、中でもスー・ヌラージはもっともよく保存されたもっとも完全な例である。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

サルデーニャ島の青銅器時代の文明と、数世紀にわたる先史時代の島のコミュニティの政治・社会の発展を示す稀有な証拠である。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ヌラーゲの傑出した例であり、人類の初期段階におけるきわめて重要で独創的な防衛のための巨石建造物と集落で、創造的で革新的な素材の用法と技術によって中期・後期青銅器時代にサルデーニャ島の先史社会にもたらされた。

■完全性

バルーミニのスー・ヌラージには顕著な普遍的価値を表現するために必要なすべての要素が含まれている。これらには中央の防御用構築物と周囲の村落からなる考古遺跡が含まれており、その平面レイアウトは明確に保持されている。こうした考古学的構造の完全性を改善するために、この地域では構造の強化と保守的なメンテナンスが行われているが、完全性を損なう可能性のある作業や変更は行われていない。

ただ、北の境界に沿って走る州道は資産の脅威となっている。たとえ交通量が少なく古代遺跡に直接的な影響がなかったとしても、その考古学的景観を毀損している。資産の環境や配置に関する完全性は道路を離すことで強化できるが、現時点では財政的な理由から実現は困難である。

■真正性

資産の真正性は高いレベルで維持されている。スー・ヌラージが放棄された後も集落は6~7世紀まで断続的に使用されていたようだが、1950年代の考古学的な発掘まで主要な構造は埋もれていて破損を免れたようだ。1990年代はじめに体系的な保全キャンペーンが実施され、多くの構造が安定化ならびに強化された。その後の修復・強化作業はヴェネツィア憲章(建設当時の形状・デザイン・工法・素材の尊重等、建造物や遺跡の保存・修復の方針を示した憲章)に完全に準拠して行われており、今日の保全状態が確保された。

鉄筋コンクリートや金属・木材といった現代的な素材の使用を伴う修復は最小限で目立たず、考古学的遺跡の真正性や外観に悪影響を与えていない。

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