ナポリ歴史地区

Historic Centre of Naples

  • イタリア
  • 登録年:1995年、2011年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:1,021ha
  • バッファー・ゾーン:1,350ha
世界遺産「ナポリ歴史地区」、サンタ・ルチア港、サン・マルティーノ修道院、サンテルモ城、ヌオーヴォ城、王宮
世界遺産「ナポリ歴史地区」、サンタ・ルチア港、右上がヴォメロの丘で白い建物がサン・マルティーノ修道院、その後ろがサンテルモ城、中央がヌオーヴォ城、その左が王宮
世界遺産「ナポリ歴史地区」、サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂、サレルノ宮殿、ナポリ王宮
世界遺産「ナポリ歴史地区」、プレビシート広場。中央右がサン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂。その左の赤い建物がサレルノ宮殿、左がナポリ王宮 (C) Giorgio Visco
世界遺産「ナポリ歴史地区」、ナポリ王宮のメイン・ファサードである西ファサード
世界遺産「ナポリ歴史地区」、ナポリ王宮のメイン・ファサードである西ファサード。(C) 劉小堯
世界遺産「ナポリ歴史地区」、ヌオーヴォ城
世界遺産「ナポリ歴史地区」、ヌオーヴォ城。右に見える白い部分がルネサンス様式の凱旋門
世界遺産「ナポリ歴史地区」、サン・ジェンナーロのカタコンベ
世界遺産「ナポリ歴史地区」、サン・ジェンナーロのカタコンベ (C) Dominik Matus

■世界遺産概要

イタリア南西部カンパニア州の州都ナポリは2,500年を超える歴史を誇るイタリア屈指の古都で、その美しさは「ナポリを見てから死ね」という言葉で表されている。構成資産は「ナポリ歴史地区」「ヴィッラ・マンツォ、サンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ地区」「マレキアーロ」「カザーレとサント・ストラト地区」の4件で、ギリシア・ローマ時代と中世・近世を中心に多数の遺跡と建造物を含んでいる。なお、本遺産は1995年に5つの構成資産を持つ世界遺産として登録されたが、2011年に資産を若干拡大し、バッファー・ゾーンを設定して4件の構成資産にまとめられた。

○資産の歴史

ナポリは新石器時代から集落が確認されており、紀元前9世紀にはパルテノペと呼ばれるギリシア人の港湾都市が栄えていた。紀元前470年にパルテノペを吸収して新しいポリス(ギリシア都市)を意味するネアポリスが建設され、城壁で囲まれた方格設計(碁盤の目状の整然とした都市設計)の城郭都市が整備された。ネアポリスはシチリア島のシュラクサイ(シラクサ。世界遺産)やギリシアのアテネ(世界遺産)との貿易を行い、エトルリアを破って急速に発展した。サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂周辺がギリシア時代のアゴラやローマ時代のフォルムといった公共広場だった場所で、地下に遺跡が残っており、マセラムと呼ばれる屋内市場跡や円形劇場跡が発掘されている。

紀元前4世紀後半、フェニキア人の大国カルタゴ(世界遺産)の圧力を受けると共和政ローマと同盟を結び、やがてローマ(世界遺産)の植民都市となった。ローマ帝国時代に水道橋・公衆浴場・テアトルム(ローマ劇場)・神殿・宮殿をはじめ多数の建造物が建てられた。また、帝国後期にキリスト教がもたらされ、305年には皇帝ディオクレティアヌスの弾圧によって後にナポリの守護聖人となる聖ヤヌアリウス(聖ジェンナーロ)が殺害されている。ローマ遺跡には先述のマセラムの他にポシリポ遺跡公園(資産外)、邸宅跡であるヴィッラ・ディ・リチーニョ・ルクッロ、サン・ジェンナーロのカタコンベ(地下墓地)などがある。また、ナポリ大聖堂には聖ヤヌアリウスの乾いた血液を入れた小瓶が収められており、血液が液化する奇跡で知られている。

476年に西ローマ帝国が滅亡すると東ゴート王国やランゴバルド王国が侵入するが、6世紀半ばにビザンツ帝国(東ローマ帝国)が奪還し、661年に帝国の下でナポリ公国が成立する。この時代に多くの教会堂が建てられており、その遺構やモザイク画(石やガラス・貝殻・磁器・陶器などの小片を貼り合わせて描いた絵や模様)、フレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)といったビザンツ美術作品が伝えられている。一例が6世紀の初期キリスト教の教会堂であるサンタ・レスティトゥータ聖堂で、建物は13世紀の再建ながら当時のフレスコ画が残されている。これ以降、ナポリはイタリア南部におけるローマ・カトリックの中心地となり、数多くの教会堂が建てられた。現存するものだけで500棟近い歴史的教会堂が現存するといわれ、「500ドームの町」の異名を持つ。

11世紀になるとヴァイキングで知られる北ヨーロッパのノルマン人が地中海に進出。1130年にルッジェーロ2世がシチリア島でシチリア王国を建国すると、1140年にナポリもその版図に入った。結婚政策によってシチリア王国の王位は神聖ローマ帝国のホーエンシュタウフェン家に移り、同家の支配を受けた。シチリア王ルッジェーロ2世やグリエルモ1世が築いたノルマン様式の城がカプアーノ城で、ホーエンシュタウフェン朝などでも王宮として使用された。

シチリア王国がローマを脅かしたことから教皇クレメンス4世はフランスのアンジュー家に王位を移行。アンジュー伯シャルル・ダンジューがカルロ1世として王位を継いで首都をナポリに遷都した(ナポリ・アンジュー朝)。1282年にシチリアの晩祷(ばんとう)と呼ばれる反乱が起こるとイベリア半島のアラゴン王国が住民を支援してシチリア晩祷戦争が勃発。アラゴン王ペドロ3世がシチリアを占領して1302年にシチリア王位に就いた。一方、ナポリ・アンジュー家のカルロ2世がナポリ王位に就いてナポリ王国が成立し、シチリア王国から独立した。

1442年にアラゴン王・シチリア王アルフォンソ5世がナポリに攻め込んでナポリ王位を奪取。15世紀末にはアラゴン王国がカスティリャ王国などと連合してスペイン王国が成立した。1494年にはフランス王シャルル8世がナポリを占領。これを機にイタリアを巡る大戦争に発展した(1494~1559年、イタリア戦争)。ナポリについてはスペインのコルドバ将軍が1503年に占領し、翌年スペイン王フェルナンド2世のナポリ王位が承認されてシチリアとナポリがスペインの版図に入った。

ナポリ・アンジュー家のカルロ1世が整備した城がヌオーヴォ城で、カルロ2世の時代に王宮がカプアーノ城から移された。アラゴン時代にアラゴン王・ナポリ王であるアルフォンソ5世がルネサンス様式で改修・増築している。ナポリ・アンジュー家のロベルト1世が14世紀に山上に築いた城塞がサンテルモ城で、16世紀にルネサンス様式の星形要塞として改築された。ロベルト1世はサンタ・キアラ修道院など数多くの建物を建設したことでも知られる。また、スペイン・ハプスブルク家のスペイン王・シチリア王・ナポリ王フェリペ3世の命で建設された宮殿がナポリの象徴・ナポリ王宮(レアーレ宮殿)だ。この時代にヨーロッパではパリに次ぐ大都市に発展し、ルネサンス・バロックの最盛期を迎えてナポリ大聖堂やカーマイン城、オルシーニ・ディ・グラヴィーナ宮殿、ジェズ・ヌオーヴォ教会、サンタ・マリア・デッラ・サニタ聖堂、サン・パオロ・マッジョーレ聖堂といったナポリを代表する数々の建物が建設・改修された。

スペイン継承戦争(1701~1714年)を経てオーストリア、ポーランド継承戦争(1733~1735年)でスペインの支配を受け、1734年にシチリア王国とともにスペイン・ブルボン家の支配下に入り、やがて両シチリア王国として2国は統合された。1803~15年のナポレオン戦争でブルボン家は追放されるが、1814~15年のウィーン会議を経て復帰。これを記念してブルボン家の両シチリア王フェルディナンド1世がローマのパンテオンを模して築いたのがサン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂だ。この後、イタリアでは統一運動リソルジメントが活発化し、ガリバルディがシチリアとナポリを占領してイタリア王国に献上したことで1861年に統一された。ナポリの象徴のひとつであるサン・カルロ劇場やカポディモンテ宮殿、スパニョーロ宮殿などはこの時代の建設だ。

ナポリはこのように25世紀わたる複雑な歴史の中で、ヨーロッパからアジア・アフリカまでさまざまな民族・宗教・文化の影響を受けて築かれた時代時代の遺物や遺構をいまに伝えている。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は「ナポリ歴史地区」「ヴィッラ・マンツォ、サンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ地区」「マレキアーロ」「カザーレとサント・ストラト地区」の4件だが、ほとんどはナポリ歴史地区に含まれており、他の3件は小さな飛び地にすぎない。ナポリ歴史地区はナポリの北東から南西に伸びる細長いエリアで、おおよそナポリ・カポディキーノ国際空港の西のカポディモンテ公園からマレキアーロまで10km以上にわたっている。

代表的な古代遺跡跡には、サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂がある。カルロ1世が13世紀に築いたゴシック様式の教会堂だが、地下にネアポリス時代のアゴラの市場跡や神殿跡、教会のモザイク画などが確認でき、隣接の博物館で遺物が展示されている。サンタ・キアラ修道院では第2次世界大戦中の爆撃で地下の古代遺跡が明らかになり、ローマ時代の巨大なテルマエ(公衆浴場)跡が発見された。出土した遺物は院内の博物館に収められている。ヴィッラ・ディ・リチーニョ・ルクッロは共和政ローマの政治家ルキウス・リキニウス・ルクッルスが建設した紀元前1世紀頃の邸宅跡で、巨大な敷地内には帝政ローマ時代の要塞跡やビザンツ時代の修道院跡など、数多くの遺構が混在している。近郊のテアトルム跡はローマ時代の劇場跡で、一帯にはローマ時代の神殿跡を含むカルミニエッロ・アイ・マンネイジ教会のような遺跡が散在している。サン・ジェンナーロのカタコンベは2~3世紀に築かれたナポリ最古級のカタコンベで、ナポリの守護聖人・聖ヤヌアリウス=聖ジェンナーロの墓所となっていたことからこの名が付いた。フラスコ画やレリーフなどが残る巨大な空間で、10世紀ほどまで墓地として使用されていた。これ以外にサンタ・マリア・デッラ・サニタ聖堂の地下に眠るサン・ガウディオーソのカタコンベをはじめ、数多くのカタコンベが残されている。

ナポリには約500棟もの教会堂が現存するといわれるが、もっとも代表的なものとしてナポリ大聖堂、正式名称メトロポリターナ・ディ・サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂が挙げられる。聖母マリアと聖ヤヌアリウスに捧げられた大聖堂で、カルロ1世の時代に計画され、カルロ2世が13世紀後半に建設を開始して14世紀に完成した。15世紀に地震の被害を受けてファサードがゴシック様式で再建されている。全長約100m・幅55m弱・高さ48m、ラテン十字形・三廊式(身廊とふたつの側廊からなる様式)の巨大な教会堂で、ジョヴァンニ・バルドゥッチによる格天井の天井画やピエトロ・ブラッチの主祭壇の彫刻をはじめ数多くの芸術作品を収めている。特筆すべきは南に隣接し、17世紀にバロック様式で建設されたサン・ジェンナーロ王室礼拝堂と宝物館で、バロック・ドームの内部を彩るドメニキーノとジョヴァンニ・ランフランコのフレスコ画を筆頭に、バロック様式の彫刻やレリーフ・絵画で覆われている。奇跡で知られる聖ヤヌアリウスの血はこの礼拝堂のサン・ジェンナーロの聖櫃に収められている。また、北に隣接するサンタ・レスティトゥータ聖堂は4世紀の創建で、ナポリ最古の教会堂といわれる。ナポリ大聖堂の建設に伴って礼拝堂としてゴシック様式で建て替えられ、バロック様式で改装された。大聖堂の西に位置するカペーチェ・ミヌートロ礼拝堂はゴシック様式の主祭壇やモザイク画の床、さまざまな時代のフレスコ画で名高い。

サン・マルティーノ修道院はナポリを一望するヴォメロの丘に立つ旧修道院で、現在は博物館コンプレックスとなっている。ナポリ・アンジュー家によって1325年に創建されたカルトゥジオ会の修道院で、ナポリ女王ジョヴァンナ1世の治世に発達して多くの施設が増築され、16世紀にはマニエリスム様式やバロック様式で改修された。フレスコ画やバロック彫刻で覆い尽くされたプリンシパーレ教会を中心に、平面幾何学式の中庭を持つ大クロイスター(クロイスターは中庭を取り囲む回廊)、ペンシリ公園、ファンザギアーノ墓地、ドンネ教会、薬局など数多くの施設・設備を内包している。一部はサン・マルティーノ国立博物館となっており、ナポリと王家の歴史を示す数多くの日用品や芸術作品を展示している。

サンタ・キアラ修道院はロベルト1世が14世紀に創建した修道院コンプレックスで、サンタ・キアラ聖堂や聖具室、マイオリカートのクロイスター(クラリーセのクロイスター/サンタ・キアラのクロイスター)、フラティ・ミノリのクロイスター、図書館、オペラ・ディ・サンタ・キアラ博物館、図書館など数多くの施設からなる。1340年奉献の教会堂はバシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)の単廊式(身廊のみで側廊を持たない様式)で、ステンドグラスが美しいゴシック様式のシンプルな教会堂となっている。隣接の鐘楼は1456年の地震で倒壊し、1604年にバロック様式で再建された。82.3×78.3mを誇るマイオリカートのクロイスターはバロックの画家ドメニコ・アントニオ・ヴァッカロの指揮によるもので、マヨルカ焼きで装飾された柱やベンチ、クロイスターの壁を覆い尽くすフレスコ画などで彩られた見事な芸術空間となっている。オペラ・ディ・サンタ・キアラ博物館は同地で発掘されたローマ時代の遺物から近世の宝物まで多彩な収蔵品を誇る。

サン・ドメニコ・マッジョーレ聖堂はカルロス2世の命で1283~1324年に建設されたゴシック様式の教会堂で、16世紀にルネサンス様式、17世紀にバロック様式で改修された。ラテン十字形・三廊式の教会堂で、隣接の修道院とともに修道院コンプレックスを形成している。数多くの絵画や彫刻で知られるが、特に13世紀に描かれたピエトロ・カヴァリーニのフレスコ画で飾られたアフレスキー礼拝堂(フレスコ礼拝堂)、ルネサンス様式で名門カラフェ家の墓にもなっているクロチフィッソ礼拝堂(十字架礼拝堂)、バロック様式でアルフォンソ5世をはじめアラゴン王室の墓がある聖具室などが有名だ。

ジェズ・ヌオーヴォ教会はサン・セヴェリーノ家の宮殿をイエズス会が購入して16世紀末に改修・建設した施設のひとつで、ギリシア十字形で4つの翼廊に4基のドームを冠するビザンツ様式に近い平面プランを採っている。ファサードはルネサンス様式ながら、ピラミッド形の張り出しを持つ切石を並べた特徴的なデザインで、バロック様式のポータル(玄関)を持つ。コジモ・ファンツァーゴが指揮した内装が圧巻で、フランチェスコ・ソリメーナやベリサリオ・コレンツィオ、パオロ・デ・マティスらのフレスコ画、ドメニコ・アントニオ・ヴァッカロやフランチェスコ・パガーノ、ファンツァーゴらの彫刻をはじめ、数多くのバロック装飾であふれている。

サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂(王室バシリカ)は両シチリア王フェルディナンド1世がピエトロ・ビアンキの設計で1816~46年に築いた教会堂で、ローマのパンテオンを模したローマン・リバイバル様式の傑作として名高い。教会堂は円形の集中式(有心式。中心を持つ点対称かそれに近い平面プラン)で、直径34mの強大なドームを頂いており、中央のオクルスと呼ばれる採光穴をはじめデザインもパンテオンとよく似ている。ポルティコ(列柱廊玄関)はイオニア式、両腕を広げたような楕円形のコロネード(水平の梁で連結された列柱廊)はドーリア式、内部の柱はコリント式で、ローマ神殿に似た荘厳さを演出している。

この他に、9世紀建設の最古級の教会堂のひとつサンタニェッロ・マッジョーレ教会、14世紀の貴重なフレスコ画で覆われたサンタ・マリア・ドンナレジーナ・ヴェッキア教会、ゴシックとルネサンス様式の代表的な教会堂であるサン・ジョヴァンニ・ア・カルボナーラ教会、ローマ時代のカストル=ポルックス神殿の跡地に建てられたバロック様式のサン・パオロ・マッジョーレ聖堂などがよく知られる。

ナポリには数百のパラッツォ(宮殿)やヴィッラ(別邸)が現存するが、代表的な宮殿としてまずナポリ王宮=レアーレ宮殿が挙げられる。アラゴン・スペインの支配期、ヴォメロの丘と港の間のいわゆるスペイン地区が発達したが、王宮はその港側に建設された。スペイン王でありシチリア王・ナポリ王でもあるフェリペ3世に敬意を払い、副王フェルナンド・ルイス・デ・カストロが建築家ドメニコ・フォンターナやその息子ジュリオ・チェーザレ・フォンターナに依頼して1600年頃に建設を開始した。プレビシート広場に面した幅169mのメイン・ファサードはルネサンス・マニエリスム様式で、1階はドーリア式、2階はイオニア式、3階はコリント式の円柱やピラスター(付柱。壁と一体化した柱)が立ち並び、1階はアーケード(屋根付きの柱廊)となっている。この南西の一帯が王の居住エリアで、南東が女王のエリアと庭園、北西が大階段、北東がパラティーナ礼拝堂とギャラリー、ヘラクレスのホール、中央が中庭とクロイスターという構成だ。宮殿にはイタリアで3番目の規模を誇る図書館であるヴィットーリオ・エマヌエーレ3世国立図書館があり、1737年に建設された世界最古級のオペラハウスで世界でもっとも美しい劇場のひとつとされるサン・カルロ劇場が隣接している。なお、18世紀後半には海からの砲撃を避けるために王宮は内陸部のカゼルタ王宮(世界遺産)に移されている。

カポディモンテ宮殿はスペイン・ブルボン家のスペイン王カルロス3世(ナポリ王カルロ7世)が1738年に建設を開始したバロック様式を中心とした宮殿で、カポディモンテの丘にたたずんでいる。3つの中庭を持つ170×87mのコートハウス(中庭を持つ建物)で、1957年からカポディモンテ国立美術館として一部が公開されている。近郊のポンペイのフレスコ画の影響を受けた新古典主義様式のブルボンの間、ロココ様式にシノワズリ(中国趣味)を加えた王妃マリア・アマリアの磁器の間、フランスの絵画・彫刻・家具が集められたフランスの間といった数多くの豪奢な部屋があり、周辺にはかつての王家の狩猟場でイギリス式庭園(自然を模したイギリスの風景式庭園)として改修されたカポディモンテ公園が広がっている。

ヴィッラ・フロリディアーナは現在ドゥーカ・ディ・マルティーナ 国立陶器美術館として公開されている宮殿で、1817~19年に建築家アントニオ・ニコリーニが新古典主義様式で建設した。庭園はカスケード(階段状の連滝)を持つバロック様式のイタリア式庭園で、周辺の公園はフリードリヒ・デンハルトの指揮で築かれたイギリス式庭園となっており、ヴェルズラ劇場やイオニア式神殿など古代建築を配したロマン主義の空間が広がっている。

これ以外に、15世紀に建築家ガブリエーレ・ダンニョロが設計したナポリを代表するルネサンス建築であるオルシーニ・ディ・グラヴィーナ宮殿、スペイン王カルロス3世がフェルディナンド・フーガの設計で18世紀に建設したバロック様式のブルボン救貧院(アルベルゴ・レアレ・デイ・ポーベリ病院)、18世紀に建設されたバロック様式の宮殿でフェルディナンド・サンフェリーチェ設計の鷹翼状の階段で名高いスパニョーロ宮殿などがよく知られている。

サンテルモ城はヴォメロの丘の頂に立つ城塞で、もともとは14世紀前半にロベルト1世がティノ・ダ・カマイノの設計で宮殿として建設を開始し、ジョヴァンナ1世の時代に完成した。15世紀の地震で破損し、またフランスとスペインが争った際には主要な攻撃目標となったため、神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)の勧めもあって16世紀に星形要塞として再建された。このためポータルはカール5世のポータルと呼ばれ、帝国の紋章である双頭のワシが掲げられている。17世紀以降は要塞や刑務所として使用され、宮殿として使用されることはなかった。20mほど張り出した6つの稜堡を持つ六芒星形の星形要塞で、きわめて堅牢な城壁で守られており、頂部の1~2階建ての城塞に事務室や宿舎・教会堂などを備えている。一部はナポリ・ノヴェチェント美術館として公開されており、ナポリの芸術家の作品を中心に彫刻や絵画が展示されている。

カプアーノ城、ヌオーヴォ城、デローヴォ城は主にアンジュー朝とアラゴン時代の城塞だ。カプアーノ城のある場所はギリシア・ローマ時代には城壁外で、広大な埋葬地が広がっていた。12世紀にシチリア王グリエルモ1世が城塞を建設し、ノルマン朝(オートヴィル朝)の王宮として整備された。ナポリ・アンジュー家のカルロ1世が1279~82年に港付近にヌオーヴォ城あるいはマスキオ・アンジュイーノ(アンジュー城)を建設し、カプアーノ城、デローヴォ城(卵城)とともに防衛拠点として整備した。この城塞も宮殿として機能し、カルロ2世は居城をカプアーノ城から移している。15世紀半ばにはアラゴンのアルフォンソ5世が現在見られる形に大改修を行った。アンジュー時代の宮殿の4基の塔に1基を加えて5塔とし、ポータルに建築家フランチェスコ・ラウラーナによるルネサンス様式・大理石製の凱旋門を組み込んで王権の象徴とした。スペイン時代も港を守る拠点としてありつづけたが、次第に宮殿としての機能は失われて軍の駐屯地となった。代わって王宮となったのがナポリ王宮だ。ヌオーヴォ城の南、海に突き出した岬に位置するデローヴォ城は日本語で「卵城」を意味し、地下に城を支える魔法の卵があるとの伝説からこの名が付いた。ナポリ最古級の城塞で、ローマ時代にはヴィッラ・ディ・リチーニョ・ルクッロの敷地で5世紀頃に城塞化された。12世紀にルッジェーロ2世が城を建設し、カルロ1世やアルフォンソ5世らが防衛拠点のひとつとして整備したが、たびたび艦砲射撃を受けて損傷した。

■構成資産

○ナポリ歴史地区

○ヴィッラ・マンツォ、サンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ地区

○マレキアーロ

○カザーレとサント・ストラト地区

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ナポリ湾に位置する立地がこの都市に顕著な普遍的価値をもたらし、その結果、ヨーロッパを越えて世界に多大な影響を与えつづけた。ナポリはマグナ・グラエキア(南イタリアのギリシア勢力圏)あるいは共和政ローマの主要都市として古代からヨーロッパ中にその名を轟かせた。地中海におけるもっとも影響力のある文化的中心地であるという役割は中世および16~18世紀にかけて再認識され、ふたたびヨーロッパの主要都市のひとつとして芸術と建築を筆頭にさまざまな分野で多大な影響力を行使した。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ナポリはヨーロッパでもっとも古い歴史を持つ都市のひとつであり、現代の都市構造はその長く波乱に満ちた歴史的要素を保存している。古代ギリシアの植民都市ネアポリスの長方形のグリッド・レイアウトはいまだ識別可能であり、地中海の主要港湾都市ナポリの歴史地区の現代都市構造のベースとなっている。ナポリは古代の砦や1,600を数える王宮と関連の建造物群、宮殿や貴族に支援された教会堂に見られるように、中世から18世紀にかけて芸術と建築においてヨーロッパの中心的存在であった。 

■完全性

ナポリ歴史地区の構成資産にはその顕著な普遍的価値を構成するすべての要素が含まれている。中心はアラゴン時代の城壁で囲まれた歴史地区で、宮殿群の他に18世紀の庁舎・住宅・大学・健康衛生施設および芸術・工芸のための建物等で構成されている。これらの建造物群とその機能はナポリの歴史に関連するすべての期間を網羅しており、適切な保全状態にある。町と海の重要な歴史的関係は海岸沿いのローマ時代の遺跡の保存と、ヌオーヴォ城からポジリポ岬に至る小さな港の修復を通じて維持されている。

2011年の世界遺産委員会で軽微な範囲変更が承認され、考古遺跡を加えるために構成資産「ナポリ歴史地区」が拡大され、「カザーレ地区」と「サント・ストラト地区」が統合・拡大された。資産は記念碑的ではない都市構造の管理体制の不備に対して脆弱だが、資産の配置は手付かずで開発圧力も受けていない。

■真正性

都市設計の真正性のレベルは高く、ギリシャ・ローマ都市あるいは16世紀スペイン地区の方格設計のレイアウトは相当量の証拠を保持している。公共および民間の建物の類型は現在の都市設計の一部としてのみならず、それらの空間的・容量的・装飾的な特徴においても維持されている。ベースとして多用される黄色のトゥファや白大理石、灰色のピペルノはすべて地元で採れた石であり、視覚的・材質的特徴を持つこうした素材の使用には際立った連続性がある。これらの素材を使用するために開発された技術の多くは存続しており、修復・保全プロジェクトで使用されている。

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