ファン・ネレ工場

Van Nellefabriek

  • オランダ
  • 登録年:2014年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:6.94ha
  • バッファー・ゾーン:87.57ha
世界遺産「ファン・ネレ工場」、左が事務棟、中央がタバコ工場、その奥がコーヒー工場、ブリッジのある通りを隔てて右はボイラー棟と煙突
世界遺産「ファン・ネレ工場」、左が事務棟、中央がタバコ工場、その奥がコーヒー工場、ブリッジのある通りを隔てて右はボイラー棟と煙突 (C) Ben Bender
世界遺産「ファン・ネレ工場」。"Van Nelle" の文字が確認できる
世界遺産「ファン・ネレ工場」。"Van Nelle" の文字が確認できる (C) M.Minderhoud
世界遺産「ファン・ネレ工場」、事務棟からの眺め
世界遺産「ファン・ネレ工場」、事務棟からの眺め (C) Ben Bender

■世界遺産概要

1920年代にロッテルダムのスパーンセ・ポルダー工業地帯の運河沿いに建設されたタバコ、コーヒー、紅茶の加工・包装・発送を行う工場コンプレックス。ガラスと鉄筋コンクリートを駆使して築かれた工場の概念を覆す明るく快適かつ機能的な建築で、モダニズムと機能主義の象徴となった。

○資産の歴史と内容

ファン・ネレ社は1782年にタバコ、コーヒー、紅茶の販売会社としてヨハネス・ファン・ネレによって設立された。妻とともに家族経営を行っていたが、19世紀はじめにふたりが亡くなり、1837年に息子が亡くなるとファン・デル・レーウ家が元の社名のまま引き継いだ。クース・ファン・デル・レーウはオランダ領東インドにプランテーションを建設し、世界的な貿易網を確立して原料を送り届けた。これを受けてファン・ネレ社はコーヒー豆を焙煎し、タバコと紅茶を加工する工場経営に乗り出し、会社を大幅に拡大した。

クースの兄のケース・ファン・デル・レーウは新しい工場を建設するため1916年にロッテルダムのスパーンセ干拓地(ポルダー)に造成されたスパーンセ・ポルダー工業地帯の土地を購入。芸術家で哲学者でもあったケースは新しい工場に人間尊重を謳うヒューマニズムをはじめとする社会的信念を具現化することを決意し、明るく快適な職場環境を実現する新しい建築アプローチを探究した。工場の設計はオランダの建築家ミシール・ブリンクマンに託され、1923年に設計・建設がはじまったが、ミシールが1925年に亡くなったため建築家レーンデルト・ファン・デル・フルフトが引き継いだ。

タバコ、紅茶、コーヒーの製品ごとに工場と倉庫を設ける必要があったが、レイアウトには空間的な一貫性が求められた。搬送・搬入を重視して一帯は鉄道の北に築かれ、工場はメイン通り沿いに並べられ、倉庫は運河沿いに配された。干拓地であるため土壌は柔らかく一部浸水しており、厚さ2.5mに及ぶ砂の層があった。このため当時普及しはじめた鉄筋コンクリートの杭を多数打ち込んで基礎を築いた。これらはオランダで開発された技術で工場に応用された。工場にも鉄筋コンクリートが多用された。鉄筋コンクリート製の柱や床スラブ(床板)は八角形の柱によって支えられ、これにより壁は荷重の掛からないカーテン・ウォール(帳壁)となった。そして自由になった壁にはできるだけ自然光が入るように金属フレームを取り付けて大きな窓をはめ込んだ。1室の部屋の大きさと形はフォーマットが決められ、これを重ねる形で工場が設計された。このため工程が多いタバコ工場がもっとも高くなり、コーヒー工場と紅茶工場が続いた。タバコ工場の頂部にはロッテルダム湾を見下ろすティー・ルームが設けられた。

これらの工場棟と倉庫は空中に架かるブリッジによって結ばれ、ブリッジにもコンクリートとガラスが多用された。発電を行うボイラー棟は石炭発電だったが、後に石油に変更された。湾曲した事務棟は工場群とメイン通りを見渡す形になっている。これ以外にディスパッチ・ホール(手配所)やワークショップ・ビル、5基の高架橋、公園、クレーンを備えた港などが建設された。施設の多くは1929~30年の間に完成した。1929年の世界恐慌の影響などもあり、結局完成したのは当初の計画の半分ほどだった。

誕生した工場コンプレックスは現代的な建築と工場設計の先駆けとなり、機能と美観の両面で大いに注目を集めた。1932年には近代建築の3大巨匠のひとりであるル・コルビュジエが訪問し、工場の概念を変えた功績に対して賛辞を述べている。

ファン・ネレ工場は1954年にファン・デル・レーウの手を離れ、持ち主が何度か代わった後、1985年に国定史跡に指定された。1995年に工場としては操業を停止したが、1998年にファン・ネレ・デザイン・ファクトリーというコンソーシアムの手に渡り、国や市とともに遺産を保全しつつオフィスやギャラリー、博物館として使用されている。

■構成資産

○ファン・ネレ工場

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(i)「人類の創造的傑作」でも推薦されていた。しかしICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)はこの遺産の価値をモダニズムと機能主義の観点から捉え、戦間期におけるもっとも完成度の高い産業施設という文脈で評価した。このため登録基準(i)は満たされていないと評価している。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

20世紀初頭のヨーロッパおよび北アメリカのさまざまな地域で生まれた技術とアイデアを集大成したもので、産業への適応と美的側面の双方で際立った成功を収めている。これは戦間期のモダニズムに対するオランダの模範的な貢献を示しており、完成以降、その象徴として世界全域に大きな影響を与えている。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

20世紀前半の産業建築の見地から、ファン・ネレ工場はすぐれた環境、生産フローの合理的展開、通信ネットワークとの良好な接続、ガラス・カーテン・ウォールによる明るく快適な空間を実現した戦間期のもっとも完成度の高い工場コンプレックスであり、モダニズムと機能主義の偉大な美的成功のひとつである。これらは透明性や流動性の価値を示しており、産業界に新しい道を切り拓くものである。

■完全性

工場は1985年に国定史跡に指定され、1998年以降は修復・再利用プロジェクトが実施されている。そのため1995年に操業を停止して以降も工場や物流スペースの位置や形状・機能的関係・景観等は変わっていない。約10haの敷地のうち6.94haが世界遺産の資産だが、顕著な普遍的価値を持つ要素はすべて含まれている。

■真正性

ファン・ネレ工場は国定史跡に指定されて以来、最高レベルの国家保護を受けており、ロッテルダムの都市開発計画は環境保全対策とともに行われているためさまざまな規制を受けている。また、オープン環境で良好な視覚的表現を確保するため大きなバッファー・ゾーンが設けられている。2000~06年に行われた修復も真正性を維持する形で細心の注意を払って行われた。

工場は現在、私的なコンソーシアムであるファン・ネレ・デザイン・ファクトリーによって管理されており、保全・管理は政府の文化遺産庁と市の遺産部門の協力に基づいて行われている。

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