ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群及びヒオス島のネア・モニ修道院群

Monasteries of Daphni, Hosios Loukas and Nea Moni of Chios

  • ギリシア
  • 登録年:1990年
  • 登録基準:文化遺産(i)(iv)
  • 資産面積:3.7ha
  • バッファー・ゾーン:5,815.58ha
世界遺産「ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群及びヒオス島のネア・モニ修道院群」、ダフニ修道院のカトリコン
世界遺産「ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群及びヒオス島のネア・モニ修道院群」、ダフニ修道院のカトリコン
世界遺産「ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群及びヒオス島のネア・モニ修道院群」、ダフニ修道院群のカトリコンのモザイク画
世界遺産「ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群及びヒオス島のネア・モニ修道院群」、ダフニ修道院群のカトリコンのモザイク画 (C) Ktiv
世界遺産「ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群及びヒオス島のネア・モニ修道院群」、オシオス・ルカス修道院、左がカトリコン、右がパナギア聖堂
世界遺産「ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群及びヒオス島のネア・モニ修道院群」、オシオス・ルカス修道院、左がカトリコン、右がパナギア聖堂 (C) Sogal
世界遺産「ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群及びヒオス島のネア・モニ修道院群」、オシオス・ルカス修道院のカトリコンのドーム
世界遺産「ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群及びヒオス島のネア・モニ修道院群」、オシオス・ルカス修道院のカトリコンのドーム。四隅からアーチを架けてドームを支えているのがわかる (C) Jean Housen
世界遺産「ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群及びヒオス島のネア・モニ修道院群」、ネア・モニ修道院。中央上のドームがカトリコン
世界遺産「ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群及びヒオス島のネア・モニ修道院群」、ネア・モニ修道院。中央上のドームがカトリコン (C) FLIOUKAS
世界遺産「ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群及びヒオス島のネア・モニ修道院群」、ネア・モニ修道院のモザイク画
世界遺産「ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群及びヒオス島のネア・モニ修道院群」、ネア・モニ修道院のモザイク画

■世界遺産概要

修道院3院と関連の建造物群を構成資産とする世界遺産で、ダフニ修道院はアテネの中心部から直線距離で10kmほど離れたアッティカ、オシオス・ルカス修道院はアテネから約100kmのフォシデ、ネア・モニ修道院群は200km強のヒオス島に位置する。いずれについても特徴的なのは11世紀に築かれた修道院の「カトリコン」と呼ばれる中央聖堂で、外観は八角形ながら内部はギリシア十字形で、スキンチと呼ばれる技術で頂部に見事なドームを架けている。また、壁や天井を彩る11~12世紀の美しいモザイク画(石やガラス・貝殻・磁器・陶器などの小片を貼り合わせて描いた絵や模様)やフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)はビザンツ美術の第2次黄金期の傑作として知られている。

○資産の歴史と内容

正教会では「+」形のギリシア十字式の教会堂が好まれたが、ギリシア十字式には2種類のスタイルがあった。建物がそのまま十字形を取るスタイルを「独立十字式(フリー・スタンディング・クロス式)」、四角形や多角形の内部に十字形を埋め込んだスタイルを「内接十字式(クロス・イン・スクエア式)」という。3件の修道院のカトリコンのベースは八角形だが、上のオシオス・ルカス修道院のカトリコンのドーム内部の写真にあるように、身廊は四角形の空間で、横に翼廊が張り出す形でギリシア十字形を形成している。つまり、内接十字式だ。

またドームについて、四角形の身廊と円形のドームを接続させるためには特殊な処理が必要となる。同じ写真の四角形の身廊の四隅を見るとアーチが架かっているが、このように四隅からアーチ(スキンチ・アーチ)を架けて円に近付けることでドームを載せる構造を「スキンチ(入隅迫持)」という。3棟の修道院のカトリコンはこうした内接十字式、スキンチ・ドーム、モザイク画、フレスコ画、大理石造を大きな特徴としている。

ダフニ修道院は女神アテナの都であるアテネ(世界遺産)と女神デメテルの都であるエレウシスを結ぶエレウシス街道の途上に位置し、ローマ時代には太陽神アポロンの聖域として崇められており、アポロン・ダフネオス神殿が立っていた。この神殿は396年に破壊されたが、5世紀には聖域に長方形のバシリカ式教会堂を中心とする修道院が建設され、6世紀にビザンツ皇帝ユスティニアヌス1世によって整備されたようだ。7~8世紀にスラヴ人の侵略を受けて放棄されたが、1080年頃に皇帝アレクシオス1世コムネノスによって再興された。このとき建設されたのがいまに伝わるカトリコンで、八角形の外観で内接十字式で築かれた。ただ、ナルテックス(拝廊)やポータル(玄関)など周囲や外壁の増築を受けているため上空から見ると四角形に見える。カトリコンのスキンチ・ドームは直径7.5mを誇り、ドーム天井はガラス質のテッセラ(細片。パーツ)で作られた金色に輝くモザイク画で彩られており、イエスや生神女マリア(聖母マリア。正教会では生神女といわれる)、天使や聖人などが描かれている。修道院は97m四方の壁で囲われており、アギオス・ニコラオス聖堂跡などが残されている。修道院は1205年に第4回十字軍の襲撃を受けて略奪され、1207年にローマ・カトリックのシトー会に移籍し、1458年にはイスラム王朝であるオスマン帝国に奪われたが、まもなく正教会に返還された。オスマン帝国下でも信教の自由が認められて教会堂としてありつづけたが、修道院としてはほとんど機能していなかった。

オシオス・ルカス修道院はヘリコン山の西斜面に立つ修道院で、10世紀半ばにデメテル神殿跡で修行を行っていた聖ルカスにちなんで命名された。953年に聖ルカスが亡くなるとこの地に埋葬され、墓の隣に生神女マリアに捧げるパナギア聖堂が建設された。パナギア聖堂は正方形の平面プランを持つ内接十字式の教会堂で、11~12世紀には美しいモザイク画とフレスコ画で覆われていたが、現在はほとんど失われている。11世紀前半には聖ルカスの墓の上に聖バルバラに捧げるカトリコン(アギア・バルバラ聖堂)が建設された。こちらは八角形の平面にギリシア十字形を内包する内接十字式の教会堂で、直径9mの巨大なスキンチ・ドームを冠し、後に西ファサード(正面)にナルテックスが増築された。天井は3件の修道院でも随一とされるイエスや生神女マリア、天使などのモザイク画で覆われている。地下には聖ルカスの墓を収めたクリプト(地下聖堂)があり、聖ルカスを描いたモザイク画で彩られている。この場所は病気を治す奇跡で知られており、人気の巡礼地となっていた。修道院にはこれ以外に18世紀のフレスコ画が残るブルドナリオ(馬小屋)や聖ルカス城跡、僧院といった建物や遺構がある。

ネア・モニ修道院はヒオス島のプロヴァタス山中に位置し、1045年に設立された。伝説によると、ミティリニ島に亡命していた貴族コンスタンティヌス・モノマコスはヒオス島の修道士ニケタスとヨハネから自分が皇帝になるとの予言を授かった。1042年にビザンツ皇帝コンスタンティノス9世モノマコスとして帝位に就くと、1045年にヒオス島にネア・モニ修道院を建設して贈り、免税特権などを与えたという(予言を行ったのは3人の修道士で、山中で光輝く生神女マリアの聖画像イコンを発見し、コンスタンティヌスが皇帝になるビジョンを見たという異説もある)。1049年前後に完成したカトリコンは直径7mのスキンチ・ドームを頂く八角形の内接十字式の教会堂で、『新約聖書』のさまざまな場面を描いたモザイク画で知られる。西に内ナルテックス、外ナルテックス、鐘楼が続いており、ナルテックスにも見事なモザイク画が見られる。修道院にはこれ以外にアギオス・パンテレイモン礼拝堂や聖十字架礼拝堂、貯水槽、僧院跡などが点在している。14世紀の全盛期には1,000人もの修道士が修行を行っており、オスマン帝国の支配下に入っても修道院としての活動は続いた。しかし次第に衰退し、1821~29年のギリシア独立戦争において、特にオスマン帝国がギリシア独立派を弾圧した1822年のヒオス島の虐殺(キオス島の虐殺)に際してはギリシア人を保護したとして襲撃を受け、多くの建物が破壊された(聖十字架礼拝堂に収められている多数の頭蓋骨はこの時の犠牲者のものだ)。さらに1881年には大地震に見舞われてカトリコンのドームが倒壊した。現在見られるカトリコンは1900年頃に再建されたものだ。

■構成資産

○ダフニ修道院

○オシオス・ルカス修道院

○ネア・モニ修道院

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

ダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院、ネア・モニ修道院には金色の背景に描かれた見事なモザイク画が残されており、独創的な芸術的成果を伝えている。これらはビザンツ美術の紛れもない傑作であり、この点において世界遺産リストに加えられるべき顕著な普遍的価値を持つと考えられる。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

3件の修道院は中期ビザンツの宗教建築の特徴を示す際立った例である。ネア・モニ修道院のカトリコンはシンプルな八角形の教会堂で、追加部分のないもっともベーシックなスタイルとなっている。オシオス・ルカス修道院とダフニ修道院のカトリコンはより複雑で、正方形の平面プランの中に八角形のスペースを確保している。このような構造は多彩な機能と階層を生み、壁画の内容を位置によって分けるなど、大規模で複雑な装飾プランの実装を可能にした。これらは建築の完成度、モザイク画と絵画の美しさ、保存状態のよさといった点から中期ビザンツ教会堂を代表するものであり、ミストラのアギオス・テオドロス聖堂(世界遺産)と並んで多くの教会堂に影響を与え、そのモデルとなった。一例がキパリシアのクリスチャン聖堂やアテネのパナギア・リコディム聖堂、モネンヴァシアのアギア・ソフィア聖堂である。

■完全性

3件の構成資産はそれぞれ修道院の建造物群とバッファー・ゾーンを構成する周辺の自然環境からなっており、資産には建築形態と装飾の両面において顕著な普遍的価値を構成するすべての重要な要素が含まれている。

ダフニ修道院は1999年の地震で損傷したが、ただちに適切な措置が講じられたため良好な状態を保っている。ネア・モニ修道院のカトリコンは1881年の地震後の修復部分を除いてほぼ無傷であり、建築や装飾の多くは手付かずで伝えられている。オシオス・ルカス修道院のカトリコンは11世紀初期の形態が維持されており、モザイク画・フレスコ画・彫刻・大理石の壁や床といった装飾部分も当時のままで、損失や修復部分はほとんどない。ただ、ドームについては一度倒壊しており、おそらく18世紀に再建されている。

3件の修道院の潜在リスクとしては森林火災(ネア・モニ修道院)や地震(ダフニ修道院とネア・モニ修道院)のような自然災害が挙げられる。比較的都市部に近いダフニ修道院は開発危機に直面した過去を持ち、今後も懸念される。

■真正性

3件の修道院はいずれもその形状・デザイン・素材・装飾・配置・精神・印象といった建設当時の要素を維持し、修復は初期の装飾的・構造的要素を復元・強化することに留まっており、真正性は維持されている。ダフニ修道院は初期の建築的・装飾的要素をすべて保存しており、特にカトリコンのレンガで囲まれた石のラインや窓を取り囲むレンガ細工、壁のモザイク画と装飾用大理石などはすばらしく、適切な修復・保全作業の結果、状態はより改善されている。ネア・モニ修道院のカトリコンには初期の建築プランや素材がそのまま残されており、モザイク装飾や大理石壁、初期の舗装も保存されている。オシオス・ルカス修道院のカトリコンについては損傷・修復いずれも最小限に留まっている。こうした修道院に対する過去最大の被害は1821年にはじまるギリシア独立戦争で発生したものであり、20世紀になってビザンツ美術の専門家らによって修復が進められた。戦争による損傷は模範的な方法で修復され、後世に加えられた改修や増築部分についても慎重に取り除かれて建設当初の形態が明らかになった。こうした努力によって一連のモニュメントは真正性を維持したまま最小限の介入で初期の状態を復元することに成功した。

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