エーランド島南部の農業景観

Agricultural Landscape of Southern Öland

  • スウェーデン
  • 登録年:2000年
  • 登録基準:文化遺産(iv)(v)
  • 資産面積:56,323ha
  • バッファー・ゾーン:6,069ha
世界遺産「エーランド島南部の農業景観」、畑に風車が立つエーランド島の伝統的な文化的景観
世界遺産「エーランド島南部の農業景観」、畑に風車が立つエーランド島の伝統的な文化的景観
世界遺産「エーランド島南部の農業景観」、サンドビーの円形城砦村落
世界遺産「エーランド島南部の農業景観」、サンドビーの円形城砦村落 (C) Sebastian Jakobsson
世界遺産「エーランド島南部の農業景観」、エケトルプの円形城砦村落(建物は復元)
世界遺産「エーランド島南部の農業景観」、エケトルプの円形城砦村落(建物は復元)
世界遺産「エーランド島南部の農業景観」、ゲットリンゲの墓地遺跡のストーン・シップ
世界遺産「エーランド島南部の農業景観」、ゲットリンゲの墓地遺跡のストーン・シップ (C) Cirre1

■世界遺産概要

エーランド島はスカンジナビア半島南東部沿岸、バルト海の西に浮かぶ島で、木々がほとんど育たない石灰岩の荒地アルヴァーレが広がっている。5,000年以上前から人々はこの特殊な環境を利用して狩猟採取生活や農牧生活を営んでおり、牧草地や耕地、古代遺跡や風車といった美しい文化的景観を伝えている。全長140kmほどの細長い島のうち、南端から50kmほどが世界遺産の資産となっている。

○資産の歴史と内容

エーランド島南部は主として5億年近く前にさかのぼる古生代オルドビス紀に堆積した石灰層で形成されている。約7万~1万年前の最終氷期にはスカンジナビア半島とともに厚さ3kmを超える巨大な氷床に覆われていたが、氷期の終わりとともに氷床が溶け出し、重みを失った一帯は隆起をはじめた。エーランド島が海面に顔を出したのは約11,000年前と見られ、いまなお隆起は続いている(この現象をグレイシオ・ハイドロアイソスタシーというが、詳細は世界遺産「ヘーガ・クステン/クヴァルケン群島」参照)。沿岸部には波に侵食された斜面が続いており、こうした斜面は「ランドボルゲン」と呼ばれる。東西両沿岸にランドボルゲンが見られるが、西ランドボルゲンが高さ20~40mの大きな起伏を描いているのに対し、東ランドボルゲンはビーチと区別がつかない場所も少なくない。一方、内陸部は石灰岩のカルスト台地で、「アルヴァーレ」というサバナ(サバンナ。雨季と乾季を持つ半砂漠の熱帯草原)にも似た荒地で、特に南部に広がる全長37km・幅15kmに及ぶ巨大な荒地は「ストラ・アルヴァーレ(大アルヴァーレ)」と呼ばれている。アルヴァーレは石灰岩層がむき出しか、砂に覆われているのみで土壌が非常に薄いため、樹木がほとんど育たず、多くが草原でポツリポツリと低木が見られる程度である。世界遺産の資産はこのストラ・アルヴァーレ全域をカバーしている。

エーランド島に残る人類の痕跡は8,000年ほど前までさかのぼり、アルビーの遺跡でその証拠が発掘されている。当初は狩猟採取生活を送ったが、やがて農業や放牧に移行して定住生活を勝ち取った。レスモの羨道墳(せんどうふん。玄室への通路=羨道を持つ墳丘墓)は新石器時代の定住のひとつの証拠だ。

青銅器時代(紀元前1800〜前550年)に農業は本格化し、鉄器時代(紀元前550〜後1050年)に村が大きくなり、集約的な農業によって収穫量が増大し、酪農が導入された。ローマ時代以降に村が発達すると穀物を集団で耕し、干し草を栽培してウシに与える農牧業が発達し、皮革製品や乾燥肉が生活を潤した。鉄器も普及し、鉄製農具によって農場はさらに拡大した。統治機構も整備され、重要な決定事項は「ティン」と呼ばれる会議によって行われ、「レードゥン」と呼ばれる軍事組織が編成された。この時代にサンドビー、バルビー、トリベルガ、トレビー、エケトルプといった村々は円形の石垣で囲われた城砦村落となった。5世紀に築かれたサンドビーの石垣は長辺100m・短辺60mほどの楕円形で、高さ4~5mの石積みで内部には53棟の家が建っていた。エケトルプも同時期の建設で、直径約80m(当初は約57m)・高さ6mの石垣内に26棟150人が暮らしていたと見られている。これらの城砦村落は6~7世紀に放棄されたが、その理由はわかっていない。また、ゲットリンゲやハルタースタッドの墓地遺跡は青銅器時代から鉄器時代まで長きにわたって使用されていた。ふたつの遺跡はバルト海周辺でしばしば見られる「ストーン・シップ」と呼ばれる墓地遺跡で、船底形にメンヒル(立石)が並べられている。

11世紀に入ると畑を帯状に区画し、栽培する植物を変えて輪作する帯状栽培が開始された。休耕地を作り、作物を変えることで貧弱な土壌を守る工夫で、牧草や動物を放つことが土壌の維持にもつながった。こうした耕作地はアルヴァーレの外縁に沿って造られたため、海岸-耕作地(畑・牧草地)-アルヴァーレという3層構造が完成し、ストラ・アルヴァーレをグルリと取り囲んだ。町も同じように環状に点在し、街並みは環状道路に沿って直線状に発達した。12世紀頃に木造の教会は石造となり、石造の鐘楼が設置された。ハルタースタッドやレスモの教会は当時の姿を伝えている。また、村には動力源として風車が築かれ、風車を利用した製粉所が建てられた。16~17世紀には島に62台の風車が立ち並び、エーランド島を象徴する景観となった。

最南端についてはやがて王室の支配下に入った。12世紀にシトー会は南部のスモーランドにニダラ修道院を創設していたが、16世紀にスウェーデン王グスタフ1世が接収し、南端の町オッテンビーに宮殿を建設した。1569年にはヨハン3世が一帯を王室狩猟場として保護区に設定。1801年まで保護区は存続し、周辺での農業や放牧・狩猟が禁止された。

17~18世紀にかけてスウェーデンとデンマークの戦争が激化し、伝染病も流行したことで人口は激減し、多くの土地は放棄された。18世紀後半から土地の改革と再配分が行われ、一時的に人口は増加したが、やがて北アメリカへの移住が進み、また多くの人口が失われた。こうした政治的条件や土壌などの地理的条件のためヨーロッパの他の地域のように都市開発が行われたり大規模農業や林業に移行することなく伝統的な文化的景観が守られた。

■構成資産

○エーランド島南部の農業景観

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

エーランド島南部の農業景観の現在の姿は地質や地形といった物理的条件に適応して発達した長い歴史と文化の成果である。

○登録基準(v)=伝統集落や環境利用の顕著な例

エーランド島南部は人類が勝ち取った定住生活の卓越した例であり、単一の島であるにもかかわらず環境に適応した多彩な景観を伝えている。

■完全性

資産は歴史的な土地利用と土地分割のシステムを示す文化的景観を網羅しており、顕著な普遍的価値を伝えるために必要なすべての要素を含み、適切に保護されている。一見好ましくない物理的景観や環境を見事に利用して開拓・定住に成功し、長きにわたる定住の歴史の豊富な痕跡の中に人々の創意工夫と英知が刻まれている。

また、中世の土地利用法は村落や耕作地にいまなおハッキリと示されており、北ヨーロッパに残された稀有な例となっている。農業は現在においても人々の生活と生計の一部を担っており、文化的景観としての資産の完全性が維持されている。

■真正性

今日見られる農業景観は歴史的に重要ないくつかの異なる年代層によって特徴付けられている。大きく分けると、放棄された鉄器時代の景観、畑と牧草地を中心とした中世の景観、18~19世紀の土地改革後の景観となる。これらを区分するためにしばしば石壁の建設が行われた。

エーランド島南部の農業景観における要素間の機能的な関係は明確で本物であり、非常によく保存されている。継続的な保護対策により建物の追加や景観の変更など外部による干渉は最小限で、重要な文化的特徴は確実に引き継がれており、真正性は高いレベルで維持されている。

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