ナウムブルク大聖堂

Naumburg Cathedral

  • ドイツ
  • 登録年:2018年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)
  • 資産面積:1.82ha
  • バッファー・ゾーン:56.98ha
世界遺産「ナウムブルク大聖堂」、左奥の巨大な双塔がゴシック様式の西塔、右手前のバロック様式の屋根を持つロマネスク様式の双塔が東塔
世界遺産「ナウムブルク大聖堂」、左奥の巨大な双塔がゴシック様式の西塔、右手前のバロック様式の屋根を持つロマネスク様式の双塔が東塔
世界遺産「ナウムブルク大聖堂」、右がナウムブルク大聖堂の東アプスと東塔
世界遺産「ナウムブルク大聖堂」、右がナウムブルク大聖堂の東アプスと東塔
世界遺産「ナウムブルク大聖堂」、東クワイヤのクワイヤ・スクリーン
世界遺産「ナウムブルク大聖堂」、東クワイヤのクワイヤ・スクリーン (C) Ulrike Lehmann
世界遺産「ナウムブルク大聖堂」、西クワイヤのクワイヤ・スクリーン
世界遺産「ナウムブルク大聖堂」、西クワイヤのクワイヤ・スクリーン (C) Alexander Hoernigk / CC BY-SA 4.0 (via Wikimedia Commons)
世界遺産「ナウムブルク大聖堂」、ナウムブルク・マイスターによるエッケハルト2世像(左)とバレンシュテットのウタ像(右)
世界遺産「ナウムブルク大聖堂」、ナウムブルク・マイスターによるエッケハルト2世像(左)とバレンシュテットのウタ像(右)(C) Linsengericht

■世界遺産概要

ドイツ東部ザクセン=アンハルト州の都市ナウムブルク(ザーレ)に13世紀に建設されたロマネスクおよびゴシック様式の教区教会堂で、東西にアプス(主祭壇を置く後陣)やクワイヤ(内陣の一部で聖職者や聖歌隊のためのスペース)、双塔を持つユニークなスタイルを見せている。特に西アプスと西クワイヤは「ナウムブルク・マイスター(マスター)」と呼ばれる名工房の手によるもので、ゴシック装飾が高く評価されている。

なお、本遺産は第39回・第41回・第42回世界遺産委員会に推薦され、2018年の第42回で登録が決定した。しかし、ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)の勧告はそれぞれ登録延期・情報照会・不勧告で、特に第42回の推薦に対してはいずれの登録基準も満たしておらず、前回の情報照会の問題も解決されていないとして不登録を示唆しつつ勧告を行わなかった。推薦名は第39回が「ナウムブルク大聖堂とザーレ川・ウンシュトルト川の景観-中世盛期の権力の領域 "The Naumburg Cathedral and the Landscape of the Rivers Saale and Unstrut - Territories of Power in the High Middle Ages"」、第41回が「ザーレ川とウンシュトルト川の文化的景観におけるナウムブルク大聖堂と関連遺産群 "Naumburg Cathedral and related sites in the Cultural Landscape of the Rivers Saale and Unstrut"」で、第42回で大聖堂に絞って現在の名称となった。

○資産の歴史

ザーレ川とウンシュトルト川の合流地点に位置するナウムブルクは農業、特にワイン栽培に適しており、古くから集落が築かれていた。中世、神聖ローマ帝国はふたつの大きな街道の整備を進めたが、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ(世界遺産)からフランス、ドイツを経てロシアのモスクワ(世界遺産)に抜ける東西のレギア街道(王の道)と、バルト海沿岸の町シュチェチンとイタリアのローマ(世界遺産)を結ぶ南北のインペリイ街道(帝国の道)の交差点付近に位置し、ふたつの川を利用した河川舟運も可能だったナウムブルクは交易都市として開発が進められ、10世紀前後には東西南北のヨーロッパを結ぶ要衝となった。

この地の名門でナウムブルクを創設したエッケハルディン家の尽力で1028年に司教座がツァイツから移され、司教座聖堂として聖ペトロ・聖パウロのためのナウムブルク大聖堂が創建された。エッケハルディン家は神聖ローマ帝国ザクセン朝のリウドルフィング家の傍流ともいわれ、ザーリアー朝のザーリア家、ホーエンシュタウフェン朝のホーエンシュタウフェン家の3王家の支援を得て都市として承認され、市場や貿易の特権を与えられた。ナウムブルクは神聖ローマ帝国の東の国境にも近く、西ヨーロッパへの進出を強めるスラヴ人と接する前線でもあり、交易・防衛・キリスト教宣教の拠点として重要視された。

司教エンゲルハルトの下で1213年に新しい大聖堂の建設がはじまり、1242年にロマネスク様式の大聖堂が奉献された。13世紀半ばからはゴシック様式の西アプス、西クワイヤ、西塔の増築工事がはじまった。この中で西アプスと西クワイヤを担当したのがナウムブルク・マイスターと呼ばれる石工や彫刻家からなる職人工房だ。特に西クワイヤに設置された市や大聖堂の創設者ら12人の彫像の評価はきわめて高く、バレンシュテットのウタ像は「中世のもっとも美しい女性像」と評された。一説ではウォルト・ディズニー『白雪姫』に登場する女王のモデルとされる。ナウムブルク・マイスターの詳細は不明だが、そのスタイルはフランス北部もので、フランスのランス大聖堂(ランスのノートル=ダム大聖堂。世界遺産)などに作品が残されていることからランスやアミアンなどで修業したものと見られる。ドイツではマインツ大聖堂などで活躍し、ナウムブルク大聖堂の建設に抜擢されたようだ。西アプスのステンドグラスのデザインに関わったとの説もあり、建築と装飾を組み合わせた総合芸術的な視点は時代を先取りするものだった。

1330年頃には東アプスもゴシック様式で改築・拡張された。ゴシックの彫刻やステンドグラスが追加され、より華やかに装飾された。

中世の後期になると北東45kmほどに位置するライプツィヒが台頭し、レギア街道とインペリイ街道の交差点に位置する中心的交易都市という立場は次第に奪われていった。1532年の大火で損傷し、屋根が焼失。修復を進めると同時に東の双塔が建設された。

16世紀の宗教改革では旧教=ローマ・カトリックと新教=プロテスタントの争いに巻き込まれ、ナウムブルクはプロテスタントのルター派の勢力下に入った。1564年にナウムブルク司教区は解散され、教会堂はザクセン選帝侯の所有となった。ただ、ナウムブルク=ツァイツ司教区の教区教会堂としては使用が続けられた。この時点で大聖堂としての役割は終了した。

18世紀はじめに東塔頂部がバロック様式に改装され、同世紀の半ばには内装もバロック様式に改められた。ただ、18世紀後半にロマネスク・ゴシック様式への回帰が起こり、バロック装飾の多くが撤去された。同時期に西の双塔がゴシック・リバイバル様式で改装され、現在見られる大聖堂の形が完成した。

○資産の内容

世界遺産の資産はナウムブルク大聖堂と、クロイスター(中庭を取り囲む回廊)で結ばれた礼拝堂や宝物庫などの施設で、周囲の広場がバッファー・ゾーンとなっている。

全長95m・幅22.5mを誇るナウムブルク大聖堂は総主教十字のような「‡」形の平面プランを持ち、東西にトランセプト(十字形の短軸部分)とアプス、クワイヤ、双塔を有する。ただ、東の双塔がトランセプトの東に隣接して築かれているのに対し、西の双塔はトランセプトの上に設置されるなど対称にはなっていない。東の双塔はロマネスク様式で頂部はバロック様式、西の双塔はゴシック様式で頂部はゴシック・リバイバル様式と、デザインも大きさも異なっている

身廊は外観が主にロマネスク様式、内装はロマネスク様式とゴシック様式の折衷で、東西いずれのアプス、クワイヤもゴシック様式となっている。アプスとクワイヤは内陣、つまり聖域で、聖俗を分ける身廊とクワイヤの間には東西に「クワイヤ・スクリーン(ルード・スクリーン/チャンセル・スクリーン)」と呼ばれる聖障が設置されている。東のクワイヤ・スクリーンはヨーロッパ最古級のもので、聖人の絵で飾られたロマネスク様式のシンプルな作品となっている。一方、ナウムブルク・マイスターが手掛けた西のクワイヤ・スクリーンはゴシック様式で、数多くの精巧な彫刻・レリーフで飾られている。スクリーンの先にあるクワイヤと最奥部のアプスについても、東が明るくシンプルであるのに対し、西は重厚でナウムブルク・マイスターによる見事なゴシック彫刻で装飾されている。ステンドグラスは14~20世紀のさまざまな時代の作品で彩られている。

南のクロイスターはロマネスク様式で、周辺には洗礼堂、ディ・エヴァンゲリステン礼拝堂、ドライケーニヒス礼拝堂、エリーザベト礼拝堂が連なっている。エリーザベト礼拝堂に収められているテューリンゲンの聖エリーザベト像は13世紀のもので、同聖人の最古の彫像と見られる。また、21世紀に入って制作されたドイツ人画家ネオ・ラオホの華麗なステンドグラスも有名だ。

■構成資産

○ナウムブルク大聖堂

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(i)「人類の創造的傑作」、(ii)「重要な文化交流の跡」、(iv)「人類史的に重要な建造物や景観」で推薦されていたが、ICOMOSはいずれの価値も証明されていないとして価値を認めなかった。しかし、世界遺産委員会は(i)と(ii)の価値を承認し、逆転で登録が決定した。

ICOMOSは、(i)について世界遺産に登録されているヨーロッパの大聖堂と比較して際立った価値を証明できておらず、教会堂内のいくつかの芸術的要素(特に彫刻とクワイヤ・スクリーン)のみで教会堂全体を人類の創造的傑作と考えることは困難であるとし、(ii)についてナウムブルク・マイスターとして知られる13世紀の工房の実体と影響力は解明されておらず証明されていないとし、(iv)について東西の二重クワイヤと二重クワイヤ・スクリーンが際立ってユニークであり人類史上における重要な建造物や景観であることの証明もなされていないと断じた。

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

ナウムブルク大聖堂は、優秀な彫刻家と石工を有するナウムブルク・マイスターと呼ばれる工房が構想・設計した西クワイヤによって、中世の大聖堂の中でも際立って独創的な教会堂となっている。建築・彫刻・ガラス絵を有機的に組み合わせることで芸術の並外れた統合を生み出すことに成功した。西クワイヤにある12体の色彩豊かな等身大創設者像や西クワイヤ・スクリーンの情熱的なレリーフ、ポータル(玄関)の十字架像、そして多数の柱頭彫刻は、中世の建築彫刻を代表する卓越した作品群である。特に創設者像のひとつであるバレンシュテットのウタ像はゴシック彫刻の象徴のひとつと考えられる。こうした彫刻は柱と同じ砂岩ブロックが使用されており、さまざまな装飾が建築の構造と様式の中で統合されている。ひとつの知性から生み出されたコンセプトが建築・彫刻・ステンドグラスを貫いて融合させ、ひとつの調和した作品に仕立て上げている。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

13世紀初頭に創設されたナウムブルク・マイスターの名で知られる彫刻家と石工の工房組織は、13世紀後半の建築と彫刻の革新における決定的な先駆者・伝道者である。ナウムブルク・マイスターの工房のフランス北東部からライン川中流域を経て神聖ローマ帝国の東端の国境付近、さらにはヨーロッパ南西部への移動は、中世盛期のヨーロッパの広範な文化交流の証拠を提示している。

■完全性

資産には顕著な普遍的価値を伝えるために必要なすべての要素が含まれており、法的に保護されている。大聖堂と関連の施設群、彫刻や工芸品はすべて元のレイアウトで保持されている。13世紀の構造は手付かずであり、開発や放棄といった悪影響を受けておらず、周辺の都市景観・文化的景観との視覚的品質や機能的関係も乱されていない。また、バッファー・ゾーンはナウムブルク旧市街の都市形態を反映して設定されている。

■真正性

ナウムブルク大聖堂の真正性は、中世盛期までさかのぼる大聖堂と関連の施設・工芸品・彫刻などが無傷であり、オリジナルの素材や形状が維持されていることで証明されている。19世紀以降に行われたすべての修復作業では、大聖堂を建設するために使用されていた採石場の石が同様に利用されるなど、適切に行われている。今日においても大聖堂は本来の機能を維持しており、定期的に礼拝が行われている。また、大聖堂はいまだにナウムブルク旧市街の中心を占めており、その位置と環境は変化しておらず、全体的に良好な保存状態を保っている。

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