ラウマ旧市街

Old Rauma

  • フィンランド
  • 登録年:1991年、2009年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(iv)(v)
  • 資産面積:29ha
  • バッファー・ゾーン:142ha
フィンランドの世界遺産「ラウマ旧市街」、イソキルッコ通りとラウマ・ラーティホーネ(時計塔のある建物)
フィンランドの世界遺産「ラウマ旧市街」、イソキルッコ通りとラウマ・ラーティホーネ(時計塔のある建物)
フィンランドの世界遺産「ラウマ旧市街」、聖十字架教会
フィンランドの世界遺産「ラウマ旧市街」、聖十字架教会 (C) Stefan Schäfer, Lich
フィンランドの世界遺産「ラウマ旧市街」、ラウマ博物館として公開されているマレラ(左の建物)とカウッパ通り
フィンランドの世界遺産「ラウマ旧市街」、ラウマ博物館として公開されているマレラ(左の建物)とカウッパ通り (C) Mikkoau
フィンランドの世界遺産「ラウマ旧市街」、エテラピツカ通りの家並みと石畳
フィンランドの世界遺産「ラウマ旧市街」、エテラピツカ通りの家並みと石畳 (C) Mervi Salonen
フィンランドの世界遺産「ラウマ旧市街」、ラウマ旧市街でもっとも狭い通り、キトゥクラン。幅2~3mながら全長約60mを誇る
フィンランドの世界遺産「ラウマ旧市街」、ラウマ旧市街でもっとも狭い通り、キトゥクラン。幅2~3mながら全長約60mを誇る (C) Oh1qt

■世界遺産概要

ラウマはフィンランド南東部、ボスニア湾に面するサタクンタ県の港湾都市で、フィンランドでもっとも古い港のひとつに数えられている。海岸線から1.5kmほど入った場所にある旧市街(フィンランド語で「ヴァンハ・ラウマ "Vanha Rauma"」、英語で「オールド・ラウマ」)には18~19世紀に築かれたネオ・ルネサンス様式の住宅を中心に約600棟の木造建築が立ち並んでおり、北ヨーロッパの伝統的な街並みを伝えている。なお、本遺産は2009年の軽微な変更でバッファー・ゾーンが設定された。

○資産の歴史

フィンランドは13~14世紀頃から19世紀はじめまでスウェーデン王国の支配下にあった。ラウマは中世以来の歴史を持つ古村落で、1442年にスウェーデン王・デンマーク王・ノルウェー王を兼ねたカルマル同盟(三国同盟)のクリストファ・ア・バイエルン(デンマーク王クリストファ3世)によって正式に承認され、数々の特権が与えられた。ラウマの造船・操船技術は北ヨーロッパ随一を誇り、バルト海や北海を利用した交易で繁栄し、主に木材や木工品・船を輸出し、塩や織物・酒を輸入した。この頃、中心となっていた建物がフランシスコ会修道院と修道院教会である聖十字架教会で、商業の中心はカラトリ広場と聖三位一体教会に置かれていた。

16世紀に何度もの大火に襲われ、1550年にはスウェーデン王グスタフ1世によってヘルシンキへの移住を命じられるなど危機を迎えたが、町は成長を続けた。17世紀に入るとスウェーデンの中央集権が進み、外国との取引を一時禁じられるなどラウマは停滞期を迎え、1640年と1682年の二度の大火でほとんどの木造建築が焼失した。もともとラウマは通りが入り組んだ複雑な構造をしていたが、再建に際しても従来の都市プランや伝統的な木造住宅は維持された。ただ、1640年に聖三位一体教会と周辺の商業施設が焼失し、商業の中心はカウッパトリ広場(マーケット広場)に移された。18世紀以前の建物で現存しているのは1515~20年に建設された聖十字架教会と、1730~40年代の建設と見られるキルスティ邸、1775~76年に築かれたラウマ・ラーティホーネ(市庁舎)に限られる。

1809年にフィンランド大公国が成立し、スウェーデンを離れてロシア帝国の下で自治を行った。そしてこの19世紀にラウマの海運は最盛期を迎えた。ラウマの港にはフィンランド最大の帆船を含む57隻の船が立ち並び、スウェーデンやドイツ、バルト諸国と交易を行った。人々は交易で得た利益を町に投資して整備した。メインストリートであるクニンカーン通り(国王通り/キング・ストリート)やカウッパ通り(マーケット通り)の周囲には新しい市庁舎や博物館・美術館・商館・商店が立ち並んだ。また、多くの住宅が木造ながらネオ・ルネサンス様式に建て替えられた。1872年にはラウマ運河、1897年には鉄道ラウマ線が開通し、町は旧市街の外にまで広がった。

20世紀に入ると帆船は下火となり、1950年代にほぼ消滅した。林業や造船業・貿易業は衰退し、代わって新市街が近代化して工業都市に変化を遂げた。新市街では第2次世界大戦(1939~45年)後に多くの木造住宅が取り壊されたが、旧市街では1960代からその街並みの重要性が認識されて保護活動が活発化した。市は旧市街を整地して近代的なビル街に建て替えようと計画したが、後に断念された。600棟ほど残った木造建築の多くが保護対象となり、旧市街の景観は維持された。

○資産の内容

世界遺産の資産は29haの旧市街で、おおよそ東のカウニシヤルヴェン通り、西のノルタモン通り、南のエテラ通り、北のルオスタリン通り・キルッコ通り・タッリケドン通りの内側で、その中でも近代的なエリアは除外されている。メインストリートは東西に抜けるクニンカーン通りとカウッパ通りで、カウッパトリ広場、カラトリ広場、ハウエングアノ広場の3つの広場が町の中心的な役割を果たしていた。

カウッパトリ広場はクニンカーン通りとカウッパ通りの間、東西のほぼ中央に位置する広場で、少し北に聖十字架教会が立っている。「カウッパ」が商業、「トリ」が市場を示すように、1640年の大火以降は市場が開かれるなど商業の中心として機能した。広場の象徴的な建物がラウマ・ラーティホーネだ。建築家クリスチャン・フリードリヒ・シュレーダーの設計で1775~76年に建てられたバロック様式の市庁舎で、中央の時計塔はネオ・ルネサンス様式となっている。フィンランド最古級の市庁舎で、現在は博物館として開放されている。聖十字架教会はラウマ最古の建物で、主要部分は1515~20年に建設された。15世紀創設と伝わる修道院の付属教会堂だったが1538年に廃院となり、1640年の大火で聖三位一体教会が焼失すると町の中心的な教会堂となった。バシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)・二廊式(身廊と側廊からなる様式)の教会堂で、西に鐘楼、東にアプス(後陣)を有し、ネオ・ルネサンス様式の鐘楼は1816年に再建されている。イエスの救済を描いたアプスの見事なフレスコ画も有名だ。

カラトリ広場はカウッパ通りの東に面する広場で、1640年まで商業の中心を担った。石畳の広場の周囲に伝統的な木造住宅が立ち並び、夏には屋台も出て風光明媚な光景が広がる。中世の名残が聖三位一体教会で、1500年前後に築かれ、1640年に崩壊した教会堂の遺構が残されている。広場の北に立つマレラはガブリエル・グランルンディンという船主の私邸で、1825年に建てられた。ネオ・ルネサンス様式の木造住宅で、中庭には馬小屋などが立っており、現在はラウマ博物館として市が管理している。

ハウエングアノ広場はクニンカーン通り沿いに三角形に広がる広場で、かつては付近に税関が置かれていた。広場と通り沿いに木造住宅が立ち並んでいるが、もっとも古い建物が1795年に建設されたピナラで、現在はラウマ美術館となっている。

これ以外に代表的な建物として、1730~40年代に建てられたと見られる旧市街最古の木造住宅であるキルスティ邸が挙げられる。現在はラウマ博物館が管理しており、中庭には製粉所やパン焼きオーブン、ウマ小屋などを備えて当時の生活を再現している。ポセッリは1885年に建てられたネオ・ルネサンス様式の建物で、1985年までプロテスタントのルター派(ルーテル教会)の礼拝堂として使用されていた。その後、市が購入してホールとして改修し、コンサートや会議などに使用されている。

■構成資産

○ラウマ旧市街

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ラウマ旧市街は北ヨーロッパの建築とアーバニズムのもっともよく保存されたもっとも広範な例のひとつである。

○登録基準(v)=伝統集落や環境利用の顕著な例

ラウマ旧市街は木材で建設されたスカンジナビアの都市の卓越した例であり、北ヨーロッパの伝統集落の歴史を伝えるものである。

■完全性

ラウマ旧市街は町が西に拡大した17~19世紀にかけての市街地全体を対象としており、顕著な普遍的価値を表現するために必要なすべての要素、道路網・街区・区画・建造物といった完全性に寄与するすべての要素を含んでいる。何世紀にもわたる町の歴史はさまざまな歴史的階層構造を構成し、歴史的な住宅・中庭・フェンス・門・伝統的舗装路といった要素が均質な都市を形成している。

ラウマ旧市街のバッファー・ゾーンは当地の地形に基づいており、資産周辺のすべての視覚的・歴史的要素を含む範囲に広がっている。

懸念点として、気候変動が世界遺産の完全性の脅威となる可能性が挙げられる。

■真正性

ラウマ旧市街の真正性はさまざまな歴史的階層や建築的伝統を含む保存状態のよい歴史的都市構造に基づいている。道路網や土地区画、商業用あるいは住宅用に建てられた歴史的建造物を含む都市形態は非常によく保存されており、個々の住宅も同様で、修復・改修についてもその歴史的価値を考慮しながら時間を掛けて実施されている。また、町は生粋の地元精神を引き継いでおり、特徴的な方言も伝わっている。旧市街は住宅地としての機能と、多様な店舗を有するカウッパトリ広場やメインストリート沿いの商業地域としての機能をいまだ保持している。メンテナンスや修理の際に伝統的な建築技術・技能・素材を忠実に使用していることもラウマ旧市街の文化的・歴史的精神性を維持することにつながっている。

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